「なんで、これやってないの?」
職場で、上司からそう言われたことはありませんか?
でも、その仕事について、
「そもそも指示されていない」
ということもあります。
「えっ……それ、私がやるって決まってたの?」
「いつまでにやるなんて聞いてないけど……」
「だったら最初に言ってくれればよかったのに」
そう思ってしまうのは、決しておかしなことではありません。
実際、職場における**役割や期待が曖昧な状態(role ambiguity:役割曖昧性)**は、仕事上のストレスやパフォーマンス低下と関連することが研究で示されています。日本の労働者を対象とした研究でも、役割曖昧性は仕事上のストレスが心理的な不調と結びつく関係を強める要因として検討されています。
では、なぜ上司は、
「言ってないのに、なぜやらなかった?」
と考えてしまうのでしょうか?
そこには、いくつかの心理的なメカニズムが考えられます。
結論:「指示していないのに怒る」の背景には、期待値のズレがある
まず結論から言うと、
「指示していない仕事をやらなかった部下」を上司が責める現象には、上司と部下の間に“仕事に対する前提や期待”のズレが存在している可能性があります。
そして、そのズレが大きくなると、
上司
「普通、そこまでやるでしょ」
部下
「いや、そこまで言われてません」
という状態になります。
これは単純な能力の問題とは限りません。
むしろ、
「何を言われたか」ではなく、「何を期待されていると思っていたか」
が、食い違っているのです。
実際、役割曖昧性についてのメタ分析では、役割が曖昧であることと仕事上のパフォーマンスには負の関連が確認されています。
つまり、
「ちゃんと指示されていない」
という状態は、単なる“コミュニケーション不足”ではなく、仕事の遂行そのものに影響する問題なのです。
なぜ上司は「言ってないのに、なぜやらなかった?」と思うの?
ここからが、この問題の面白いところです。
考えられる心理を、5つに分けてみましょう。
「言わなくても分かるでしょ」という暗黙の期待
一つ目は、
「これは当然やるもの」という暗黙の期待
です。
たとえば上司の頭の中では、
「この資料を作る」
↓
「当然、関連データも確認する」
↓
「当然、前回との比較もする」
↓
「当然、問題点があれば報告する」
という“仕事の一連の流れ”ができているとします。
ところが部下には、
「資料を作って」
としか伝わっていません。
すると、
上司:10まで伝えたつもり
部下:3までしか聞いていない
ということが起こります。
これは、上司が必ずしも意地悪だから起きるとは限りません。
長くその仕事をしている人ほど、自分の中では「当然の手順」になっているため、わざわざ言語化しなくなることがあります。
ただし、ここで重要なのは、
「上司にとって当然」=「部下にも当然」ではない
ということです。
役割曖昧性の研究でも、「目標を達成するために何をすべきなのかが明確でない状態」は仕事上のストレス要因として扱われています。
「自分なら分かる」が基準になっている
二つ目は、
「自分ならそれくらい気づく」
という基準です。
たとえば上司自身が、
「この仕事を任されたら、ここまで確認する」
という働き方をしてきたとします。
すると無意識に、
「この仕事を任せたなら、当然そこまで考えるよね?」
という基準を部下にも適用することがあります。
これは「上司が正しい/部下が悪い」という話ではなく、
- 仕事の経験値や知識が違うことで、見えている範囲が違う
という問題でもあります。
ベテランにとっては当たり前の判断でも、新しい社員にとっては未知の判断かもしれません。
つまり、
- 「できる人ほど、できない側が何を知らないのか分からなくなる」
という問題が起こり得るわけです。
「結果を見たあと」だから、簡単に思えてしまう
ここは心理学的にかなり面白いポイントです。
人間には、出来事が起こったあと、
「最初からそうなると思っていた」
と感じやすくなる**後知恵バイアス(hindsight bias)**があります。
研究では、結果が予想と異なった場合、とくに否定的な結果について後知恵バイアスが大きくなることが示されています。
たとえば、
仕事をする前:
「ここ、どうなるか分からないな」
仕事が終わった後:
「いや、普通に考えたらこうするでしょ」
となる。
すると上司の中では、
「最初から明らかだった問題」
のように感じられてしまうことがあります。
でも、部下からすると、
「いや、その情報は後から分かったことでは?」
となります。
ここには、
「結果を知っている人」と「結果を知らない状態で判断していた人」の視点の違い
があります。
「部下なら察するべき」という上下関係の期待
さらに注意したいのが、
「部下なのだから、自分の意図を察するべき」
という考え方です。
これは単なる業務上の期待ではなく、
上下関係に対する価値観
が関係している可能性があります。
「上司の指示を待つだけではなく、自分から動いてほしい」
という考え方自体は、必ずしも問題ではありません。
しかし、
「主体性を持って動いてほしい」
と
「私が言わなくても私の考えていることを察して動いてほしい」
は、似ているようで全く違います。
前者なら、
目的を共有したうえで、方法を任せる
というマネジメントができます。
一方、後者では、
上司の頭の中を部下が推測すること
が求められてしまいます。
これが続くと、部下は、
「何をしても怒られるかもしれない」
と感じやすくなります。
上司自身が「指示すること」を苦手としている
そして、意外と見落とされやすいのがこれです。
「上司だから、指示が上手い」とは限りません。
専門能力が高い人が、そのままマネジメント能力も高いとは限りません。
たとえば、
- 仕事そのものは非常にできる
- 判断も速い
- 経験も豊富
- でも、人に仕事を説明するのは苦手
という人もいます。
こうした場合、
「自分の頭の中では明確」
なのに、
「相手には明確に伝わっていない」
という状態が起こります。
実際、職場研究では、役割を明確にするための上司・部下間の話し合いによって、役割曖昧性や上司への不満が低下したという実験研究もあります。
つまり、
「ちゃんと伝える」という行為そのものが、マネジメントの重要な仕事
なのです。
そして怖いのが「怒られるから、質問できなくなる」こと
この問題で最も注意したいのは、
一度怒られることそのものより、その後の行動が変わってしまうこと
です。
たとえば、
「なんでそこまでやってないの?」
と怒られたとします。
すると部下は、
「次からは自分で考えなきゃ」
と思います。
ここまではいいでしょう。
ところが次に、
「この場合はどうしますか?」
と質問したら、
「そんなことも分からないの?」
と怒られる。
すると、
質問する → 怒られる
という経験が積み重なります。
その結果、
「分からないけど、聞かないでおこう」
となる可能性があります。
これは職場にとってかなり危険です。
職場の心理的安全性に関する研究では、上司がミスに対して不寛容だったり、怒りや制裁を示したりすると、部下がミスを共有したり助けを求めたりすることをためらいやすくなることが示されています。
つまり、
「質問できない職場」は、「ミスを早期発見できない職場」にもなり得るのです。
「指示されてないのに怒られた」とき、どう対応すればいい?
では、部下側はどうすればいいのでしょうか。
おすすめなのは、
「言われてません」と正面から戦うことではありません。
もちろん、本当に指示されていなかったのであれば事実として伝える必要があります。
ただし、言い方を少し変えるだけで、対立を避けながら確認できます。
NGになりやすい言い方
「そんなこと聞いてません」
これでは、上司との“責任の押し付け合い”になりやすい。
そこで、
おすすめ
「認識がずれていたようです。次回から同じことが起きないように、今回の場合は○○まで対応する、という理解で合っていますか?」
こうすると、
責任追及 → 今後のルール確認
に話を変えられます。
「なぜやらなかった?」と言われたときの返答例
たとえば、
「そこまでやってないの?なんで?」
と言われた場合。
いきなり、
「だって言われてないです」
と返すのではなく、
「今回、私の認識では○○までが依頼内容だと受け取っていました。次回からは△△まで対応する、という認識でよろしいでしょうか?」
と返します。
これなら、
自分の認識を説明する
↓
相手の期待を確認する
↓
次回の基準を明確にする
という3段階になります。
これは単なる“怒られないテクニック”ではありません。
曖昧だった役割を明確にするためのコミュニケーション
なのです。
それでも毎回「言ってないこと」を責められるなら?
ここは重要です。
一度や二度なら、
「認識のズレ」
で説明できる可能性があります。
しかし、
- 指示が毎回曖昧
- 後から要求が追加される
- 「言わなくても分かるでしょ」が頻繁にある
- 質問すると怒られる
- 自分で判断しても怒られる
- 以前と違う指示を出して「前にも言った」と言われる
- ミスの原因を一緒に確認せず、人格を責められる
という状態が続くなら、単なる一回のコミュニケーションミスとは考えにくくなります。
研究上も、役割の曖昧さは仕事上のストレスや心理的な不調と関連しており、支援的なリーダーシップはその悪影響を弱める要因として検討されています。
さらに、役割曖昧性と敵対的な職場環境との関連を長期的に調べた研究もあります。
「指示されていないのに怒られる」あなたが悪いとは限らない
ここまで読んで、
「じゃあ、私がもっと察しないといけないのかな……」
と思った人もいるかもしれません。
でも、
指示がないことと、あなたの能力が低いことは同じではありません。
仕事には、
- 明確な指示が必要なもの
- 経験から判断できるもの
- 自分で考えて動くべきもの
- 上司に確認すべきもの
があります。
問題は、
どこまでが「自分で判断する範囲」なのか
が共有されていないことです。
そして、その境界を作ることは、部下だけの責任ではありません。
「主体性」と「察すること」は違う
このテーマで、ぜひ覚えておきたい言葉があります。
主体性とは、上司の心を読むことではありません。
主体性とは、
「目的を理解して、自分で考え、必要なら確認しながら行動すること」
です。
一方、
「上司が何を考えているかを察して、言われていないことまで完璧にやる」
のは、主体性とは少し違います。
もし職場で、
「自分で考えて動け」
と言われながら、
「勝手なことをするな」
とも言われるのであれば、部下は非常に難しい状態に置かれます。
まとめ|「なぜやらなかった?」の裏側にあるもの
「なぜやらなかった?」と怒る上司の心理には、必ずしも一つの理由だけがあるわけではありません。
考えられるものとして、
- 「言わなくても分かる」という暗黙の期待
- 「自分なら分かる」という経験者基準
- 結果を見た後に「最初から分かっていた」と感じる後知恵バイアス
- 「部下なら察するべき」という上下関係の価値観
- 指示や期待を言語化することが苦手
- 上司と部下の期待値・認識のズレ
などがあります。
そして重要なのは、
「指示されていない仕事をやらなかった」という一つの出来事だけで、上司・部下のどちらが悪いと決めつけることはできない
ということです。
本当に必要なのは、
「誰が悪い?」
ではなく、
「次から、何を・どこまで・いつまでにやるのか?」
を明確にすること。
役割が明確になれば、部下は判断しやすくなり、上司も「なぜやらなかった?」と言う必要が減ります。
そして何より、
「分からないことを聞いても怒られない」
という環境は、ミスを隠すのではなく、早く共有して改善するためにも重要です。
もしあなたが、
「ちゃんと仕事をしているのに、なぜか毎回“気が利かない”と言われる」
と感じているなら。
もしかすると問題は、あなたの「気づく力」ではなく、
職場で共有されている“当たり前”が、実は共有されていないこと
なのかもしれません。


